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東大寺と興福寺
旧友のT君は“貧寒として”という言葉がお気に入りだった。寒村の景観をみすぼらしいと腐(くさ)した司馬さん(司馬遼太郎)が紀行エッセイでそう書いていた。ぼくも司馬さんのファンで歴史小説などはずいぶん読んだがT君とは逆に司馬さんのこういう表現は“誇張”あるいは“大仰”という感じが強くてしてあまり好きではなかった。いや、一人で悦に入っているような気分が感じられて嫌悪することすらあった。
司馬さんの紀行エッセイと言えば「街道をゆく」がすぐ頭に浮かぶがぼくは読んでいない。「街道をゆく」シリーズのなかに「奈良散歩」という紀行があってぼくには縁が深い奈良だがこれすら読んでいなかった。それがこないだなにげなく見ていたNHKの番組表に『新 街道をゆく 「奈良散歩」』とあるのを見つけて仏像が出てこないはずはないと踏んで見てみようと思った。ちなみに「奈良散歩」は「近江散歩」と合わせて文庫一冊に収まっているが「近江散歩」も番組になっていてこちらはおととしだったか見ていた。「奈良散歩」の放送は3月12日にあったが3年前の再放送だった。その内容に印象深いものがあったから書いておこうと思い立った。
「奈良散歩」がテーマとしたのは東大寺と興福寺だった。多武峰談山神社も出てくるが文脈から言って興福寺に含めて良い。期待した仏像は残念なことに映ったのは興福寺国宝館の板彫十二神将、天燈鬼・龍燈鬼、十大弟子、阿修羅だけで、それが“貧寒として”まるっきり素人の鑑賞だったから二重にがっかりした。
では「奈良散歩」のなにが番組で語られたのかというと東大寺では修二会(お水取り)だった。ぼくが知らなかったいろんなことが出てきてこれは見応えがあった。写真家の入江泰吉さんも出てきて司馬さん流の大仰さも気にならないほど頗る良かった。それとその年の修二会で和上(わじょう)と呼ばれる練行衆(行をおこなう坊さんをそう呼ぶ)の最上位を務めたお坊さんが良くて、修二会のクライマックスと言える達陀(だったん)という行法について、ふしぎですねぇ、あれなんなんでしょうね、とまるで当事者ではない他人事のように言い、行法中に読み上げる過去帳のなかでもっとも有名な「青衣ノ女人(しょうえのにょにん)」を紹介したときなどは、なまめかしい、だの、みんながその個所を聞きたくて固唾をのんで待っているとき咳払いでもしたら怖いでしょうね、だのと言ってその話しぶりが最高におもしろかった。話し上手と言っていい。そして番組の最後では、兜率天はあるんでしょう、あると思いますね、と語った。微塵も疑っていない確信の言葉だった。そう言えばこの和上を勤めたお坊さんを以前「通りがかりの者です」に登場させていた。やはり修二会について書いた2021年9月の三回から成る記事の最終回の中でのことで、そのときは咒師(しゅし)という練行衆の上から三番目の位置だった。
ちなみに、兜率天(とそつてん)とは仏教で世界の中心にある須弥山(しゅみせん)という山岳の遥か上空にあるという天上世界で天人が法要を行し弥勒菩薩が如来になるための修行をしている。
一方、興福寺については権力者が建てた大寺院のその悲哀というより惨めさについて語った。司馬さんにそのつもりはなかったかもしれないがぼくにはそう見えた。司馬さん流の誇張と大仰もまた全開で鼻についた。出てきた興福寺の坊さん、貫首(かんす)と称する興福寺の住職さんは阿修羅像を美術史家のようにその起源から解説し、2018年に再建成ったばかりで興福寺の本堂に当たる中金堂を、興福寺の1番中心の宗教施設です、と国会議事堂でも紹介する観光ガイドような口調で唯物的に解説した。司馬さんは21世紀を見ることなく亡くなっていたからこの中金堂を見ていない。もし長生きして見ていたらなんと言っただろうか。ところでこの住職さんは敏腕マネージャーらしいのだがいつだったか別の番組では西金堂内陣を再現した仮講堂の内部を、非常に贅沢な宗教空間です、と俗っぽい言葉で軽く言っていた。あれっ、司馬さん風に書いているような気がする。
こんなこと書いているがぼくは興福寺というお寺が決して嫌いなわけではない。今まで何度拝観したことか。きっと東大寺より多い。
兜率天はあると断言する坊さんと本堂を宗教施設と呼ぶ坊さん、そこに東大寺と興福寺の違いがあるような気がした。司馬さんは、この寺の僧の顔つきは世間の僧にくらべて数段いい、と東大寺のお坊さんたちを胸が空くような言葉で評した。こればかりは誇張でも大仰でもなかった。 2026年5月13日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)
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